成年式発祥地・蕨市 【埼玉県蕨市:蕨市役所】

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わが国最初の成人式は、蕨市の成年式

日本における今日の形態の成人式は、戦後間もない昭和21年11月22日埼玉の小さな町、蕨町(現在の蕨市)で実施された「成年祭」がルーツになっている。蕨の町は、終戦を間近にした昭和20年5月、アメリカ軍の空襲をうけ、数え切れない家屋が焼け、大きな被害と多くの死者を出した。そういう中で、次代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ますため、当時の蕨町青年団長、「高橋庄次郎」が主唱者となり「青年祭」を企画した。蕨第一国民学校(現在の蕨北小学校)を会場として、校庭にテントを張り、3日間にわたって実施し、最初に開かれたのが「成年式」であった。戦地から戻った青年たちは国民服で、女性はもんぺ姿で参加し、大いに励まされたという。この「成年式」が全国に広まり現在の成人式となった。蕨市では現在も「成年式」の名称で式典を行っている。

成年式・市長のスピーチ 「成年式・市長のスピーチ」

【成年式発祥の地】の像前で記念撮影会 「【成年式発祥の地】の像前で記念撮影会」

【成年式発祥の地】のブロンズ像

蕨市の「青年祭」に影響を受けた国は、昭和23年に制定された祝日法により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の趣旨のもと、昭和24年1月15日を「成人の日」として制定した。その後、平成10年の祝日法改正(ハッピーマンデー法)に伴って平成12年より成人の日は1月第2月曜日になった。昭和54年1月には、市制施行20周年、成人の日制定30周年を記念して蕨城址公園に「成年式発祥の地」のブロンズ像が建立された。この像は、成年となった若者の未来を象徴している姿でもある。 発祥碑ブロンズ像の隣には「青春」碑が建っている。この詩の原作者は米国人のサ ミュエル・ウルマンで、蕨出身の岡田義夫氏が翻訳したものである。

【成年式発祥の地】のブロンズ像 「【成年式発祥の地】のブロンズ像」

ブロンズ像の隣には【青春】碑が建っている。 「ブロンズ像の隣には【青春】碑が建っている。」

和楽備(わらび)神社

蕨市役所通りに面しして蕨城址公園があり、ここに「成年式発祥の地」のブロンズ像と成年式の会場となる「蕨市民会館」がある。その隣には「和楽備神社」がある。室町時代に蕨を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城を築き、その守り神として「八幡大神」を奉斎したのがはじまりと云われている。明治44年(1911年)「和楽備神社」と改称された。

和楽備神社 「和楽備神社」

青年際

和楽備神社境内において、蕨商工会議所青年部が「成年祭」を開催した。屋台村を設置して、市内の飲食店(青年部メンバー)が出店し、自慢の逸品を販売している。新成人の方には、無料で甘酒や赤飯の振る舞いを行っている。

成年祭 「成年祭」

蕨市は人口密度日本一

蕨市は、全国の市の中で最も面積が狭い。市の面積は5.1km2で、全国787ほどある市の中で、最も面積の小さい市である。人口は約72,000人で、人口密度は約14,160人/km2となっていて人口密度は日本一高い。ちなみに最下位は、北海道夕張市で、12人/km2であり、蕨市は、夕張市の約1,180倍の人口密度である。このような埼玉の小さな町、蕨で、わが国最初の成年式(成人式)が、戦後間もない時期に始まった。

昔の面影を残す蕨宿

「成年式発祥の地」のブロンズ像が建っている蕨城址公園に面している市役所通りを進むと旧中山道にぶつかる。ここが宿場町のあったところで、本陣の跡や古いたたずまいの家並みなど旧街道の面影が残っている。中山道は江戸と京を結ぶ二大街道のうち東海道五十三次の"海の道"に対し木曾山中を通ることから"山の道"として木曾街道や木曽路とも呼ばれていた。江戸日本橋を基点に近江国(滋賀県)守山宿までの六十七宿の街道で守山の次の草津で東海道と合流し大津を経て京都に達する。通常は草津と大津を加えて六十九宿で、いわゆる中山道六十九次である。蕨宿は、江戸日本橋から数えると2つ目の宿場で、埼玉では最初の宿場になる。

旧中山道 「旧中山道」

蕨本陣跡 「蕨本陣跡」
35.825643,139.679704
名称蕨市役所
住所埼玉県蕨市中央5-14-15
電話番号048-432-3200