城下町岩槻鷹狩り行列 【埼玉県さいたま市岩槻区:岩槻御成街道周辺】

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徳川家康は、鷹狩りをしながら何度も岩槻を訪れていた!!

江戸時代、徳川家康は鷹狩りを好んでいた。その家康は、慶長14年(1609)の3月に岩槻城が火災で焼失した同じ年の12月に、鷹狩りを行いながら岩槻城の復興状況を確認しに来るなど、たびたび岩槻を訪れていたと云われている。その折、岩槻城主は、加倉口御門外で出向かいをしていたと云われている。鷹狩り行列では、岩槻城主が将軍を出迎えたとされる城への入口「加倉口御門外」(現、本町1丁目)付近を出発し「日光御成街道」を岩槻小学校まで約1キロメートルを練り歩いた。出迎える側の岩槻藩の藩主行列は、岩槻小学校から出発し街を練り歩き、途中で将軍の鷹狩り行列と合流、鷹の放鷹(ほうよう)実演、黒奴の奴振りの披露、将軍や藩主、目付、若年寄りなどのセリフ入りのパフォーマンス、侍女の薙刀(なぎなた)演舞、小十人組の演舞などが披露された。今回で第2回目を迎える「城下町岩槻鷹狩り行列」には、鷹狩り行列73人、岩槻藩行列63人、鷹15羽、馬1頭が参加し、大勢の観客で賑わった。

岩槻の歴史は、長禄元年(1457)太田道灌によって岩付城(岩槻城)が築城された。戦国時代には道灌の曾孫・太田資正は名将として名を轟かせた。昭和29年(1954)1町6村が大合併して岩槻市となった。平成14年(2002)、公職選挙法の選挙区改正などで、さいたま市への編入合併へ至る要因の一つとなった。平成16年(2004)さいたま市との合併協定の調印式が行われ、平成17年(2005)さいたま市に編入され、さいたま市岩槻区となった。

35.9492935,139.696463
名称岩槻御成街道周辺
住所埼玉県さいたま市岩槻区本町3丁目周辺
電話番号048-790-0111


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