
山車(笠鉾・屋台)が方向転換するとき「ギリ廻し」と呼ばれる作業をする。山車の後ろに、テコの支点になる台をセットして2本のテコ棒に10人ほどがとり付いて山車の後ろ車輪を上げる。台の付いた「ギリ棒」を地面と山車の底中心部にセットしてテコ棒の力を緩めると、4つの車輪が地面から浮き、方向転換をする。

「秩父神社」は、秩父市の中央、柞 (ははそ)の森に鎮座している。秩父地方の総鎮守で、創建は二千年前と言われている。秩父夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並ぶ日本三大曳山祭の一つで、秩父神社の例大祭である。

秩父神社神楽殿では、国の重要無形民俗文化財の指定を受けている秩父神楽を奉納した。

12月2日秩父夜祭「宵宮(よいみや)」は、本祭で曳き回される6基の山車のうち4基が市内を曳行(えいこう)し、夜には花火も打ち上げられる。曳行する宮地屋台。秩父屋台のうち最も古く、端正な姿をとどめている。

12月2日秩父夜祭「宵宮(よいみや)」の日の神社境内「神門」付近の鮮やかな紅葉。

12月2日秩父夜祭「宵宮(よいみや)」の日、神社や街の辻などでは屋台を止め、花柳・杵屋一門の少女らが長唄三味線に合わせて踊る「曳き踊り」を奉納した。

秩父神社境内入り口付近に奉納してあった「御神輿」が御旅所に向かった。この行列は御神幸行列で、秩父神社を出発。先頭は、先導大麻、続いて大榊、猿田彦、日月万燈、楽人、錦旗、御手箱、太刀箱の列である。

秩父市役所前の御旅所に向かう「下郷傘鉾」秩父屋台の中で最も大きく、重量もある。白木で仕上げられた本体に金の飾り金具が神々しさをかもしだす。

絢爛豪華な6基の山車が市街地を練り歩き、フィナーレでは、秩父市役所前の御旅所に並んで、山車と打ち上げ花火の競演を大勢の人々が楽しんだ。

午後8時すぎから、それぞれの山車が順に「御旅所」に集結。羊山公園から打ち上げられる花火は、冬の秩父の夜空に華を添えた。

秩父鉄道・御花畑駅付近の踏切では、年に一度の祭りの山車を通すために電車を運休させ、架線を撤去する。この踏切を含む秩父駅〜影森駅間で電車を運休させ、祭りが終了するまでバスによる振り替え運転を行う。

屋台芝居(屋台歌舞伎)は、屋台の両側に張出舞台を付け、芸座を組み立てる。
この独特な様式は全国でも珍しい。

神社境内にて「神馬(しんめ)」が参拝者に披露された。「神馬」は神社に奉納された馬で、お祭りのときに使用する。しかし、馬は高価で奉納しにくく、奉納された寺社でも世話をするのが大変なので、時代の変化とともに板に馬の絵を描いて奉納する様になった。
これが現在の祈願絵馬に変貌したものである。

秩父夜祭で演奏される「秩父屋台囃子」の会場の様子。祭り当日は笠鉾や屋台の裏で披露されるので、外からは見ることができない。

秩父市役所前(秩父公園内)の「御旅所」には「亀の子石」が鎮座している。秩父夜祭のフィナーレの場所で、6基の笠鉾・屋台に先立って御神幸行列が御旅所に到着すると、「亀の子石」の背中に大幣束が立てられ、神輿が安置される。
秩父夜祭を動画でご覧ください。
日本三大曳山祭の一つ!!
秩父夜祭は、ユネスコ無形文化遺産にも登録された歴史ある夜祭りで、毎年12月2日、3日に埼玉県秩父市で開催される秩父神社の例大祭である。京都祇園祭・飛騨高山祭と並ぶ日本三大曳山(ひきやま)祭の一つに数えられている。江戸時代の寛文年間(1661~)には祭りが存在していたという記録があり、350年余りの歴史がある。12月2日の「宵宮(よいみや)」は、祭り本番を盛り上げる前夜祭で、山車、4基が市内を曳行し、花火が午後8時ごろに打ち上げられる。12月3日の「本祭(ほんまつり)」は、朝から山車の曳きまわしが行われ、6基の山車が勢ぞろいする。午後7時過ぎから、ご神幸行列や各町会の山車が秩父神社を出発し、お旅所(秩父公園内)に到着する午後10時ごろまでが夜祭りのピークとなる。
秩父市(ちちぶし)は、埼玉県の西部に位置する人口約6万5千人の市である。三峯神社や秩父神社、宝登山神社などでも知られ古来より神域とされた。これにちなみ皇族秩父宮家の宮号の由来の地ともなっている。秩父夜祭は、江戸時代中期に、「霜月大祭」として始まり絹の市(絹大市)の発展とともに屋台行事が加わり、300年以上の歴史を持つ祭りである。
撮影日: 2025年12月2日〜3日
撮影場所:秩父神社と秩父市街
住所:埼玉県秩父市馬場町1-3(秩父神社)