狭山市入間川七夕まつり

狭山市駅西口

【狭山市】

撮影日:2017年8月5日

狭山市入間川七夕まつり 狭山市駅西口から七夕通り商店街

夏の一大イベント「狭山市入間川七夕まつり」は、千葉県茂原市と神奈川県平塚市の七夕祭りに並んで関東三大七夕祭りの一つに数えられている。


狭山市入間川七夕まつり 狭山市駅西口から七夕通り商店街

「狭山市入間川七夕まつり」開催セレモニーで、小谷野 剛市長は七夕の短冊に、「雨乞い」と「無災害」の二つのお願いを書きました。と挨拶した。


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狭山市役所内に「願い事短冊記入コーナー」が設置され、市民が願いを込めた短冊を駅前「市民広場」祭り会場短冊ロードに飾り付けられた。


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「七夕通り商店街」「狭山一番街」では、商店や家々の両側の軒に竹竿を渡して、くす玉飾りや吹き流しなどを吊す江戸時代以来の飾り方を行っている。


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江戸時代に湯上がりの汗を拭くために着ていたのが浴衣である。生地も麻から木綿に変わり、そのまま外に出るようになった。町民の間では花見や盆踊りなどにも浴衣を着て出かけるのが流行になった。明治時代に入ってから、現在のように夏の普段着として普及した。


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狭山市駅前市民広場には、高さ20メートルの「日本一巨大な竹飾り」が設置された。先端部には、魔除けの飾りが付けられている。吹き流しは、織姫の織り糸を象徴している。


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狭山市駅前市民広場で「笹井豊年足踊り」が披露された。この踊りは演者が仰向けになって両足をたかく上げ、左足にヒョットコの面と男物の衣装を、右足にオカメの面と女物の衣装を着け、さまざまな仕草を演じてみせるというもので、扇や傘を操るさまは見事である。


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夜になると幻想的な雰囲気の七夕飾りを見ることができる。七夕は、日本、中国、韓国、ベトナムなどにおける節句で、季節の節目(ふしめ)となる日である。


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市内の保育園が合同で出展した可愛い飾り。七夕には次のような意味がある。織姫と彦星が天の川で1年に1度会えて願いがかなう日。織物が得意だった織姫にあやかって、裁縫や芸事の上達をお願いする。願いが届くように、真っ直ぐ育つ笹に願い事を書いた短冊を吊す。


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納涼花火大会は、入間川河川敷より花火を打ち上げ、会場は熱気に包まれた。打ち上げ数は約2,850発で、夜空に咲く大輪に堪能していた。


関東三大七夕祭り!!

夏の風物詩、織姫と彦星が1年に1度、天の川でこの日だけあうことができるという、いわれのある行事である七夕。今年も「狭山市入間川七夕まつり」が盛大に開催された。七夕は1年の中でも日本の大きな伝統行事でもある。入間川七夕まつりは、千葉県茂原市と神奈川県平塚市の七夕祭りに並び「関東の三大七夕祭り」の一つに数えられている。その歴史は古く、あの仙台七夕祭りの次に古いと云われている。狭山市駅西口から七夕通りを中心に約1.5キロメートルの沿道には、130本を超える竹飾りで埋め尽くされた。竹飾りコンクール、納涼花火大会、小学生による鼓笛隊パレード、民謡流し踊り、阿波踊りコンテストなどのイベントも行われた。七夕通り沿いには100軒を超える露天商が軒を連ねた。天満天神社境内には、お化け屋敷も作られ、子供達の人気を集めていた。七夕の起源は、その昔、日本の禊(みそぎ)の行事として、「乙女が着物を織って棚に備え、神様を迎えて秋の豊作を祈る」神事があった。その乙女を「棚機津女(たなばたつめ)」着物を織る織機を「棚機(たなばた)」と言った。時とともに、この行事がお盆を迎える準備として、「7月7日の夕方(月遅れ8月7日の夕方)」に行われるようになった。ここから、現在の「七夕」を「たなばた」と当て字で読む由来がここから来ている。

狭山市(さやまし)は、埼玉県南西部に位置する人口約15万1千人の市である。市名の由来は、狭山丘陵及び市内の特産物「狭山茶」に由来する。市内には入間川が流れている。市の中心となる地域にも入間川(七夕通り)という住所(旧入間川町の名残り)がついており、この川は町のシンボルにもなっている。


撮影日:

撮影場所:狭山市駅西口

住所:埼玉県狭山市入間川3丁目21付近

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