節分豆まき

岩槻久伊豆神社

【さいたま市】

撮影日:2013年2月3日

節分豆まき 岩槻久伊豆神社

福豆をまくのは神社の氏子や岩槻に縁のある年男・年女。今年の節分祭は日曜日と重なり大勢の人が集まり熱気を帯びた節分祭になった。


節分豆まき 岩槻久伊豆神社

宮司の挨拶の後、福豆がまかれはじめた。まかれた豆を自分の年齢の数だけ食べる。また、自分の年の数の1つ多く食べると体が丈夫になると云われている。


節分豆まき 岩槻久伊豆神社

岩槻出身の落語家・土橋亭里う馬(どきょうていりゅうば)師匠の司会と掛け声のもと、にぎやかに福豆まきが開始された。


節分豆まき 岩槻久伊豆神社

福豆をまく磋牙司(さがつかさ)関・さいたま市に部屋がある入間川部屋の関取。毎年入間川の力士衆が豆まきに参加している。


節分豆まき 岩槻久伊豆神社

「立春」を先取りするかのような陽気の中、入間川部屋の力士衆や神社の氏子により福豆がまかれ約2000人の人々が福を求めに来た。


節分豆まき 岩槻久伊豆神社

1400年の歴史を持つ由来のある神社。500㍍の参道、1万坪の境内。初詣には10万人が参拝で賑わい、琴の演奏、和太鼓演奏などが開催される。


節分豆まき 岩槻久伊豆神社

武州岩槻総鎮守・久伊豆神社の神様は、因幡の白兎に登場する大国主命。江戸の鬼門除け・クイズ神社としても有名である。


節分豆まき 岩槻久伊豆神社

菅原道真公(すがのみちざねこう)を祀っている北野天満宮。学業成就・合格祈願・必勝祈願などに様々なかたがたが参拝に訪れる。


節分豆まき 岩槻久伊豆神社

久伊豆神社の境内は岩槻城の一部であった。現在の城跡公園には、岩槻在住の日本画家“関根将雄”画伯のデザインの人形塚や岩槻城門(左奥)が移築されている。


節分豆まき 岩槻久伊豆神社

岩槻城跡公園菖蒲池に映る八つ橋。四季を通じて数々の賑やかな催し物が開催される。春には600本の桜が咲き誇り、桜の名所としても知られている。


鬼は外、福は内。神社境内にて福豆まきが開始された‼

武州岩槻総鎮守「久伊豆神社」で2月3日(日曜)節分祭が開催された。入間川部屋の力士衆と岩槻出身の落語家・土橋亭里う馬(どきょうていりゅうば)師匠らが特別ゲストとして参加。たくさんの豆やお菓子、生活用品の当たりくじ等が用意され宮司の挨拶の後、豆まきが始まった。
節分といえば、豆まき!子供の頃から慣れ親しんでいるせいか、当たり前のように豆まきをやっている。しかし、これにはそれなりの意味がある。本来、節分とは、一年に4回の季節の変わり目である立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを言う。昔、春を迎えるということは新年を迎えるにも等しいぐらい大切な節目だったため、節分といえば立春の前日だけをさすようになった。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が「豆まき」である。つまり、新しい年(立春)を迎える前日(節分)に、鬼に豆をぶつけて邪気(鬼)を払い、福を呼び込もうというものである。

久伊豆神社の神様は、大国主命(オオクニヌシノミコト)で、因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)という神話に登場する心優しい神様である。戦国時代には、太田道灌が築城した岩槻城の総鎮守としておかれ、江戸時代には、歴代城主より崇められ多数の宝物が寄進された。


撮影日:

撮影場所:岩槻久伊豆神社

住所:埼玉県さいたま市岩槻区宮町2-6-55

カレンダーから選ぶ