豆まき会場に、赤鬼・青鬼が登場。年男年女に豆をぶつけられて逃げ出すパフォーマンスを披露した。夜には「鬼やらい(鬼遣らい)行事」も披露される。
年男年女が撒いた御供物。御供物の袋のなかには、福豆と砂糖菓子がはいっていた。
秩父鉄道がイベント列車「節分豆まきトレイン」を運行。駅のホームで列車の到着を待つ鬼軍団、子供鬼も参加。列車が到着すると鬼が車内に入り威勢をあげると乗客に豆をまかれ、鬼を退治・退散する面白い企画である。
上下(かみしも)を身につけた年男年女が神殿を参拝。お祓いを受けてから豆まき会場に向かう。節分は、立春の前日に行われる伝統的な行事で、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていた。それを追い払うための悪霊ばらいの行事である。
神楽殿では「福神舞」が披露された。秩父神社の神楽舞は35座からなり、舞い方も能・歌舞伎の手法が取り入れられている。神楽囃子に合わせて福神が踊りながら豆を撒いてくれる場面もある。
ライトアップされた拝殿。19時半から節分追儺(ついな)祭が開催された。古来の形に倣い「奉幣(ほうへい)行事」「撒豆(さんとう)行事」「引目(ひきめ)行事」「鬼やらい(鬼遣らい)行事」の神事が執り行われた。
「奉幣(ほうへい)行事」
幣帛(へいはく)を奉納するという意味で、神社でよく見る白い紙がついた「お祓い棒」を持って白装束を身につけた神官が舞う。
「撒豆(さんとう)行事」
袴を身につけた神官が、四方角に向かって文言を唱えた後「えい!」と豆を撒く。
「引目(ひきめ)行事」
引目(鏑=かぶら)のついた矢でその的を射る(いる)神事である。騎射と歩射があり。騎射は馬上で駆けながら的を射るもので、歩射は「引目」「破魔」などともいい、地上に立って的を射るものである。
「大鳥居」
現存する社殿は、徳川家康の命で天正20年(1592年)に建立されたものといわれ、毎年12月3日に行われる例祭「秩父夜祭」は、国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられている
秩父神社節分追儺祭(豆まき)を動画でご覧ください。
節分行事「鬼やらい(遣らい)」!!
豆まきでおなじみの節分。本殿でおはらいを受けた年男年女らが4回に分けて「福は内、鬼は外」と威勢良く福豆を撒いた。神楽殿では福神舞が行われ、夜になると恒例の節分追儺祭(ついなさい)の神事が行われる。「奉幣(ほうへい)行事」、「撒豆(さんとう)行事」、「引目(ひきめ)行事」そして「鬼やらい(鬼遣らい)行事」を、古式の形に倣って行われる。鬼やらいは、神社の氏子、神楽氏が赤鬼・青鬼に 扮し、神楽の曲にのって「人の苦しみ我等の楽しみ・・・」と人々が苦しむ姿を見て喜び踊っているところに神官が善悪問答を挑み、問答に負けた悪鬼達は、年男年女に豆をぶつけられ、逃げ出す行事である。節分は、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、季節を分けることを意味している。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊払い行事が執り行われるのが、豆まきである。
秩父神社は、埼玉県秩父市にある秩父地方の総鎮守で、荒川の河岸段丘上に広がる秩父市街地の中心部に鎮座している。徳川家康の命により現在の社殿が建てられ、社殿には左甚五郎作と伝えられる「子宝・子育ての虎」や「つなぎの龍」など、さまざまな彫刻が施されている。毎年12月に行われる例祭「秩父夜祭」は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と共に、日本三大曳山祭および日本三大美祭に数えられ、多くの観光客が訪れる。
撮影日: 2023年2月3日
撮影場所:秩父神社(境内)
住所:埼玉県秩父市番場町1-3