流鏑馬(やぶさめ)祭り

萩日吉神社(はぎひよしじんじゃ)

【ときがわ町】

撮影日:2020年1月19日

流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

3年に一度の流鏑馬祭りのクライマックスは「夕まとう」、馬場を走りながら馬上の射手が的を狙って矢を射る。


流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

木曾義仲の家臣と伝えられている明覚郷(ときがわ町)の3氏と大河郷(小川町)の4氏が、天福元年(1233年)に奉納したのが始まりとされている。当日午前7時ごろ、大河郷と明覚郷の騎馬一行が当番家を出発して萩日吉神社に向かう。


流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

大河郷と明覚郷の騎馬一行は、途中の慈光寺・女人堂にて四方固め、ひき目(鏑矢を射る)の行事を行い、萩日吉神社に向かう。


流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

流鏑馬祭りの神馬の飾り付けや調教など世代交代が進み、若い方々に大切に伝承されている。


流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

馬場を神馬が駆け抜ける「朝まとう」が終わると、両郷がそろって「萩日吉神社」に参拝する。


流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

流鏑馬のクライマックスである「夕まとう」が始まる。神官を先導に、弓持ち、矢取りっ子、的持ち、乗子(騎馬武者)が馬場に入場する。


流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

両郷の「矢取りっ子」の男の子は、出発点から到着点へ、到着点から出発点へと介添え役に手を引かれながら、りりしく動き回り、見物客を和ませてくれる。


流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

流鏑馬は、馬を馳せながら、弓で的を射る行事である。萩日吉神社の流鏑馬は、天福元年(1233年)に木曾義仲の家臣によって奉納されたのが始まりと伝えられている。


流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

弓で的を射る行事を終えると、軍扇を広げたり口でくわえたりして、乗り払いを意味する「ノッパライ」を行い、歴史絵巻再現の余韻を残しながら、馬場での一切の行事を終了する。


流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

「平の山王様」「萩の山王様」と親しまれている萩日吉神社は、欽明天皇6年(537年)に蘇我稲目(そがのいなめ)より創建されたと伝えられている。


流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

神社境内では、参拝者に甘酒が無料で配られていた。


流鏑馬(やぶさめ)祭り【萩日吉神社|埼玉県ときがわ町】

神社境内の神楽殿では、埼玉県無形民俗文化に指定されている「神楽」が奉納されていた。


3年に一度の流鏑馬まつり!!

疾走する馬上から弓矢で的を射る「流鏑馬(やぶさめ)」が、ときがわ町の萩日吉神社で奉納され、神社前の特設馬場に大勢の見物客が詰め掛けた。馬上における実戦的な弓術は平安時代から存在した。江戸時代に入り、享保13年(1728年)徳川家重の世継ぎの無病祈願として穴八幡宮北の高田馬場(現在の東京都新宿区西早稲田三丁目)にて流鏑馬を行い、これを奉納した。その後、将軍家の厄除け、誕生祈願などの時に流鏑馬が行われるようになった。ときがわ町の流鏑馬は、天福元年(1233年)に木曾義仲(きそ よしなか)の家臣7人によって奉納されたのが始まりと伝えられている。現在は3年に一度開催されている。家臣7人は明覚郷・大川郷の2郷に住んでいたと云われ、家臣7人の子孫らが準備を進めてきた。流鏑馬のクライマックスの「夕まとう」では、2郷の騎手が馬上から三つの的に向かって矢を放ち、命中すると見物客からは大きな歓声が起きていた。

「流鏑馬祭り」の行われた「ときがわ町」は、埼玉県中部に位置する人口約1万1千人の町である。流鏑馬が奉納される「萩日吉神社(はぎひよし)」は、欽明天皇6年(537年)蘇我稲目(そがのいなめ)によって創建されたと伝えられ萩明神社と呼ばれていた。明治元年(1868年)萩日吉神社と名称を改め、現在に至っている。流鏑馬は、平成17年に埼玉県指定無形民俗文化財に指定されている。


撮影日:

撮影場所:萩日吉神社(はぎひよしじんじゃ)

住所:埼玉県比企郡ときがわ町大字西平1198 番地

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