人形のまち岩槻流しびな

岩槻城址公園

(さいたま市)

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人形のまち岩槻流しびな 岩槻城址公園

お内裏様・お雛様に扮した、さいたま小町と着物姿の琴奏者による「流しびな」のパフォーマンスが披露された。


人形のまち岩槻流しびな 岩槻城址公園

清水勇人さいたま市長の「流しびな」開催の挨拶。手前は、お内裏様とお雛様に扮した、さいたま小町の二人。


人形のまち岩槻流しびな 岩槻城址公園

主催者の開催セレモニーの後、一般参加者による“流しびな”が開始された。公園内の“八つ橋”には、順番を待つ親子連れの長蛇の列ができた。


人形のまち岩槻流しびな 岩槻城址公園

昔、子供の災厄を、人形に託して、川や海に流して祓い清めたのが“流しびな”のはじまりと言い伝えられている。


人形のまち岩槻流しびな 岩槻城址公園

直径約12㎝の船の役割を果たす、わら製の「桟俵(さんひょう)」に乗せられた人形を流す“流しびな”とは、子供の無病息災を願う古い行事で、現在のひな祭りのルーツとも云われている。


人形のまち岩槻流しびな 岩槻城址公園

あいにくな空模様のため別会場で、十二単衣の着付けの実演が行われた。一枚一枚帯を結びながら重ねていく。十二単衣の重さは20㎏程になる。


人形のまち岩槻流しびな 岩槻城址公園

十二単衣は、平安時代の女性用の装束である。十二単衣と呼び方は俗称とされ、正式には五衣唐裳(いつつぎぬからぎぬも)と呼ばれている。


人形のまち岩槻流しびな 岩槻城址公園

あいにくな空模様のため別会場で、琴演奏のイベントが行われた。


人形のまち岩槻流しびな 岩槻城址公園

“まちかど雛めぐり”の特別展示場「東玉大正館」には、地元の愛好家が作った「吊し雛」が展示している。


人形のまち岩槻流しびな 岩槻城址公園

岩槻城址公園にある「人形塚」。この斬新なデザインは、岩槻の日本画家「関根将雄」画伯の作品である。


子供たちの健やかな成長を和紙の人形に託した!!

人形の町として名高いさいたま市岩槻区で、子供たちの健やかな成長と無病息災を、ひな人形の原型とも伝わる「桟表(さんひょう)」に乗せた和紙の人形に託して、岩槻城址公園「菖蒲池」に流した。あいにくの曇り空で手がかじかむほどの寒さのなか、親子連れら4500人が会場を訪れた。主催者や来賓者の挨拶の後に、お内裏様とお雛様に扮したさいたま小町が流し雛のパフォーマンスを披露した。会場を訪れた人々は降り始めた雨がぽつりぽつりと水面に落ちる中、願いを込めて「さん表」に乗った人形を池に流し、静かに手を合わせていた。流しびなイベントは、「まちかど雛めぐり」の一環として行われたもので、あいにくな空模様のため別会場で、十二単衣の着付け実演や琴の演奏などが行われ大勢の見学者で盛り上がっていた。

「流しびな」は、子供の健やかな成長と災厄を紙や草木で作った人形に託して川や海に流して祓い清め、子供の無病息災を願う日本古来の伝統行事で平安時代の中期がその起源と言われている。岩槻は、太田道灌が築城した岩槻城(岩付城)以来の城下町として、また江戸時代には、日光御成街道の宿場町として栄えた。岩槻付近では、上質の「桐たんす」が生産され桐の粉が大量に出た。この粉は人形の頭を作る材料に最適で、人形作りに不可欠な胡粉の溶解と発色に適した水も豊富であったことなどから、人形作りが盛んに行われてきた。


撮影場所:岩槻城址公園

住所:埼玉県さいたま市岩槻区太田3-4

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