寄居北條まつり

寄居町玉淀河原

(寄居町)

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寄居北條まつり 寄居町玉淀河原・市街地

甲冑(かっちゅう)姿の武将同士の一騎打ち。戦国時代さながらの迫力ある戦いを展開した。


寄居北條まつり 寄居町玉淀河原・市街地

戦国時代の鉢形城攻防戦を再現した「寄居北條まつり」の出陣式が玉淀河原で行われた。


寄居北條まつり 寄居町玉淀河原・市街地

親子の甲冑武者も参加。この他にも地元の企業隊や郵便局隊も参加、パレードを盛り上げていた。


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外国人の国際隊も参加。着慣れない鎧を身につけてパレードに参加、勝ち鬨をあげていた。


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可愛い女の子の武者姿。市街地パレードではカメラマンの人気のまと。


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寄居町いずみ保育園の忍者隊、日頃鍛えた忍びの術ダンスを披露した。


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武者姿に扮した約600人が玉淀河原で出陣式を行ったあと、市街地をパレード。再び玉淀河原に戻り、攻防戦が行われた。


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鉢形城に陣取った北條氏邦は5万人の豊臣勢を相手に、わずか3500人の兵力で攻防戦を続けた。


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可愛い大福御前。北條氏邦の妻、大福御前(おおふくごぜん)は、豊臣秀吉の小田原攻めで落城した際、鉢形に残ったものの、病死したとも、自害したとも云われている。


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陣太鼓が鳴り響く中、戦国時代の攻防戦が再現された。


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北條、豊臣両軍の大砲の撃ち合いが始まり、ものすごい轟音が荒川の谷間に響き渡った。


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北條軍、豊臣軍の武者隊が、大砲の白煙が立ち込める中、槍の突き合いが始まった。


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北條軍武者隊が一時退散、“逃げるが勝ち?”。なんだか楽しそう。


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甲冑(かっちゅう)を身につけた約600人の武者が砂煙を舞わせて合戦。勇壮な戦国絵巻が、訪れた観客を魅了した。


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“腹が減っては戦ができぬ“
県内外から多くのグルメが出店する「北條食の陣」で武者隊員が腹ごしらえ。


北條軍と豊臣軍の攻防戦は迫力満点!!

戦国時代の鉢形城攻防戦を再現した「寄居北條まつり」が寄居町の玉淀河原や市街地を会場にして行われた。大砲の轟音が鳴り響くなか、北條軍と豊臣軍が荒川を挟んで繰り広げる攻防戦は迫力満点。1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、鉢形城に陣取った郷土の武将北條氏邦は、前田利家・上杉景勝率いる5万人の豊臣勢を相手に、わずか3500人の兵力で1ヶ月余り攻防戦を続けたと云われている。まつりの当日、武者姿に扮した約600人が玉淀河原で出陣式を行ったあと、市街地をパレード。小田原市や八王子市、高崎市など北條氏ゆかりの地からの甲冑隊も参加した。寄居町内の小学生、保育園児も忍者隊としてパレードに参加し会場を盛り上げた。玉淀河原に戻ると、北條と豊臣の両軍に分かれて決戦。戦国時代さながらの迫力ある戦いが展開され、間近で見ることのできる戦国絵巻の世界を楽しむことができる。

寄居町は、埼玉県北西部、大里郡にある人口約3万5千人の町である。荒川の中流域、長瀞のすぐ下流に位置し、その左岸に街が栄えている。古く秩父往還の街道筋にあり、宿場町として栄えた。街の対岸にはかつて鉢形城があり、その城下町でもあった。「寄居」は、「人が寄る町」「人が集う町」を象徴した歴史的な名前の地である。


撮影場所:寄居町玉淀河原

住所:埼玉県大里郡寄居町玉淀河原

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