巾着田曼珠沙華公園に、約500万本の曼珠沙華(彼岸花)が、赤いじゅうたんを敷き詰めたように咲き誇った。雑木林の中に咲く大規模な曼珠沙華群生地は珍しく、全国的にも有名である。
花のあとに葉が伸びてくる。花のある時期には葉がなく、葉のある時期には花がないという特徴から韓国では、「サンチョ(相思華)」と呼ばれている。
曼珠沙華は、全草有毒である。日本では田んぼの畦(あぜ)道や墓地に多く見られるが、人為的に植えられたものである。ネズミやモグラなど、田んぼや墓地を荒らす動物が曼珠沙華の毒を嫌うので,避ける為。巾着田の曼珠沙華は河川の増水等により流れてきた漂流物の中に混じってきた球根が漂着し、根付いたものと考えられている。
曼珠沙華(彼岸花)は、秋の彼岸の頃、全国一斉に咲く不思議な花である。一般的に花は、季節に応じて各地で咲く時期がずれる。典型的な花が「桜」である。それに対して曼珠沙華は、秋の彼岸(9月)の頃に、西日本でも東日本でも一斉に咲く。
清流高麗川(こまがわ)が蛇行した形が「巾着(きんちゃく)」の形に似ていることから、巾着田と呼ばれるようになった。日高のシンボル(正面)「日和田山(ひわださん305m)」山頂からは、巾着の形を見渡すことが出来る。
巾着田内の随所に「酔芙蓉(すいふよう)」が約200株植えられている。芙蓉とほとんど同じ形の花だが、朝に開花したときは白花で、夕方なるにつれてだんだん紅色に変化する一日花である。「酔っ払って赤くなった」とのことでこの名前になったと云われている。
巾着田の高麗川に架かる歩行者専用橋「あいあい橋」は、橋長91.2メートルで木製トラスト構造の橋としては日本一の長さで、自然景観に融合している。
巾着田は、曼珠沙華以外に、春には桜や菜の花、夏になるとアジサイやハス、秋には、コスモスも見ることができる。また、カワセミやムササビなど、野鳥や小動物を観察することもできる。
巾着田(きんちゃくだ)は、地元では「河原田」と呼ばれている。8世紀に、この付近に移り住んだ高句麗(こうくり=朝鮮半島南部)からの渡来人が、湾曲した高麗川を利用してこの地を開墾して田んぼを作り、稲作をしたと云われている。
巾着田入口に、高麗郷古民家(旧新井家住宅)がある。母屋(右側)は、江戸末期から明治時代前半に建築されたと言われている。客殿(左奥)は、明治39年(1906年)の建築物で、母屋・客殿とも平成24年(2012年)に改修され、国の有形文化財に登録されている。
巾着田の曼珠沙華を動画でご覧ください。
曼珠沙華500万本が満開!!
巾着田(きんちゃくだ)の「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」約500万本が満開になった。高麗川(こまがわ)のせせらぎに抱かれて、雑木林の中に咲き誇る曼珠沙華は、一種独特な空間を創り出す。曼珠沙華は、ヒガンバナ科・リコリス属の多年草の植物で、原産地は中国である。曼珠沙華は、サンスクリット語(仏教語)で天界に咲く花という意味。秋の彼岸の時期に突然茎が伸びてきて鮮やかな色の花を咲かせるので日本では「彼岸花」と呼ばれている。曼珠沙華には毒があり、昔、土葬をモグラや野ネズミから守るため墓地などに植えられた。また曼珠沙華は「でんぷん」を多く含んでいるため食用にも可能である。毒は水にさらすと抜けるため、田んぼの畦(あぜ)道に曼珠沙華を植えて、饑餓に苦しい時に毒を抜いて食用にすることもあったと云われている。巾着田の曼珠沙華の開花期間中は、「曼珠沙華まつり」が開催され、地元のB級グルメや特産品の販売などが同時に楽しめる。
巾着田は、日高市の西部、高麗本郷を流れる高麗川に囲まれた所にある。日和田山から眺めると、川の流れが「巾着」のように見えるので、古くから俗称として巾着田の名が付けられた。地元の人は川原田と呼んでいる。22ヘクタールの休耕田を市民の憩いの場として整備し、2005年から「巾着田曼珠沙華公園」として、曼珠沙華開花期間中は入場料を徴収するようになった。
撮影日: 2022年09月26日
撮影場所:巾着田曼珠沙華公園
住所:埼玉県日高市高麗(こま)本郷125-2