岩槻の古式土俵入り(笹久保地区)

篠岡八幡大神社

【さいたま市岩槻区】

撮影日:2025年9月14日

岩槻の古式土俵入り(笹久保地区) 【篠岡八幡大神社 | さいたま市岩槻区 】| フォトさいたま

「行司に祭文」の儀式を披露。「行司に祭文」とは、土俵の中央に穴を開け、塩、昆布、するめ、勝栗、精米、かやの実などの縁起物を沈め、興行の成功、五穀豊穣などを神仏に口上を述べる。(近年は、沈め物を省略している)


岩槻の古式土俵入り(笹久保地区) 【篠岡八幡大神社 | さいたま市岩槻区 】| フォトさいたま

亀能(最年長者3名)の土俵入り儀式を披露。亀能(かめのう)とは、土俵入りで白の化粧廻しを締めた最年長の3人の子どもたちのことを指す。子どもたちの健康と成長を願う儀式である。


岩槻の古式土俵入り(笹久保地区) 【篠岡八幡大神社 | さいたま市岩槻区 】| フォトさいたま

手合いの土俵入り儀式を披露。紫の化粧廻しを締めた年長者が「ヤッコ」を踏みながら土俵を廻る。行司は土俵上を回りながら祭文を唱える。◆ちなみに「ヤッコ」とは、右手の掌を外に向けて額にあて、左手を後ろに回し、一足ごとに左右の手の位置を交互に変えて歩く姿。


岩槻の古式土俵入り(笹久保地区) 【篠岡八幡大神社 | さいたま市岩槻区 】| フォトさいたま

「笹久保の古式子ども土俵入り」は、子どもたちの健やかな成長と五穀豊穣を願って行われる土俵祭である。釣上(かぎあげ)地区と共に国の重要無形民俗文化財に指定されている。


岩槻の古式土俵入り(笹久保地区) 【篠岡八幡大神社 | さいたま市岩槻区 】| フォトさいたま

昨今は、少子高齢化などにより担い手が少なくなり、伝承が難しくなってきている。ジェンダー平等や多様性を尊重する考え方で、女子が加わることで保存に努力を重ねている。


岩槻の古式土俵入り(笹久保地区) 【篠岡八幡大神社 | さいたま市岩槻区 】| フォトさいたま

土俵入りの豆力士たちは一斉に襦袢を脱いで、土俵横のシートに向かって投げ入れ、草履も脱ぎ捨て、土俵に向かった。土俵入り終了後は土俵前での記念撮影で終了した。


岩槻の古式土俵入り(笹久保地区) 【篠岡八幡大神社 | さいたま市岩槻区 】| フォトさいたま

子どもたちは化粧まわしをしめ、赤い襦袢を羽織って準備を整え、行司たちとともに行列をつくり神社に向かう。


岩槻の古式土俵入り(笹久保地区) 【篠岡八幡大神社 | さいたま市岩槻区 】| フォトさいたま

「篠岡八幡大神社」拝殿前での記念撮影


平安、鎌倉、江戸時代の伝承

さいたま市岩槻区笹久保地区に古くから伝わる「古式土俵入り」が、子どもたちの健やかな成長や作物の豊作を願って、神社の秋祭りに奉納された。土俵入りを披露するのは、幼稚園児から小学校6年生までの児童で、化粧廻しを締めた子どもたちは、相撲をとることなく様式化された土俵入りを披露する。笹久保地区の土俵入りにはいくつかの伝承由来があり、(1)平安時代の永承年間(1046〜1053年)に源義家が奥州に軍を率いて向かう途中にこの地に立ち寄り、戦勝を祈願した際に行った、(2)鎌倉時代に鶴岡八幡宮で相撲大会が行われ、笹久保でも選考試合を行い、土俵入りも披露したという説などがある。

さいたま市岩槻区は、埼玉県さいたま市を構成する10区のうちの一つである。人形のまちとして全国的に有名で、江戸時代に栄えた宿場町である。城下町としての歴史をもち、城跡や人形店が並ぶ町である。岩槻の古式土俵入りは、子どもたちが土俵入りを披露する行事で、全国的にも珍しく大変重要なものとして、国の重要無形民俗文化財に指定されている。


岩槻の古式土俵入り(笹久保地区)を動画でご覧ください。


岩槻の古式土俵入り(笹久保地区) 【篠岡八幡大神社 | さいたま市岩槻区 】| フォトさいたま


撮影日:

撮影場所:篠岡八幡大神社

住所:さいたま市岩槻区大字笹久保810