日本通貨発祥の地

和銅遺跡一帯(秩父市黒谷地区)

【秩父市】

撮影日:2020年6月25日

日本通貨発祥の地【和銅遺跡一帯(秩父市黒谷地区)】 | フォトさいたま

「和同開珎モニュメント」
マップの撮影場所 ①

慶雲5年(708年)武蔵国・秩父郡から産出した純度の高い自然銅を、朝廷に献上したことにより、年号が「和銅」と改められた。和同開珎モニュメントには「日本通貨発祥の地」と記されているが、この地で、和同開珎の材料である「和銅」が産出されたことを記念したものである。


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「銅洗堀」
マップの撮影場所 ②

高さ約5メートルもある「和同開珎」のモニュメントの横を流れている小川がある。これは、「銅洗堀(どうせんぼり)」と言われ、採掘した自然銅をここで綺麗に洗って「都」に送ったと云われている。


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「和銅採掘露天堀跡」
マップの撮影場所 ③

自然銅が採掘された跡が今もなお黒谷の「和銅山」に残されている。地殻変動によって「出牛(じゅうし)・黒谷断層」の破砕帯に、露出した自然銅が発見され、露天堀された跡である。


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「金山鉱山跡」
マップの撮影場所 ④

金山(かなやま)は、和銅山に連なる山の名前で、和銅製錬所跡や8本の鉱坑が点在している。戦国時代から江戸時代にかけてのものであると云われている。


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「和銅の横堀跡(金山抗)」
マップの撮影場所 ⑤

坑道は、ノミを使った手掘りである。四六のかせ(横四尺縦六尺の抗道)、五六のかせ、大下り(降り掘り抗道)などと呼ばれた坑道が点在している。


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「黒谷の和銅製錬所跡」
マップの撮影場所 ⑥

この製錬所跡からは、「選鉱所」「鋳型」「溶鉱炉破片」「鋳銅製仏像」などが発見された。江戸時代の製錬所の史跡である。


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「聖神社(ひじりじんじゃ)」
マップの撮影場所 ⑦

聖神社は、秩父市黒谷に鎮座する神社である。元明天皇(女帝)の慶雲年間(704〜707年)に、この地から「自然銅」が発見され、和銅改元と和同開珎の契機となった神社とされている。


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「和同鉱物館」
マップの撮影場所 ⑧

聖神社(ひじりじんじゃ)境内の「和銅鉱物館」には、自然銅(ニギアカガネ=熟銅)はもちろん、日本全土、東アジア、アメリカまで含めた広範囲にわたって収集された和銅関連の鉱石類、350点余が展示されている。


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「和銅黒谷駅」
マップの撮影場所 ⑨

秩父鉄道、秩父本線(秩父線)の「和銅黒谷駅」が「和銅遺跡」の最寄り駅である。平成20年(2008年)和銅奉献から1300年を記念して「和銅黒谷駅(旧、黒谷駅)」に改称した。ホームには、和同開珎のモニュメントが置かれている。


日本通貨発祥の地【和銅遺跡一帯(秩父市黒谷地区)】 | フォトさいたま

「秩父盆地の展望」
マップの撮影場所 ⑩

和銅遺跡から金山鉱山跡に向かう途中、眼下に秩父盆地の街並みや、秩父のシンボル武甲山(左)の展望が広がる場所がある。


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山口県下関市の「覚苑寺(かくおんじ)」
マップの撮影場所 ⑪

明治44年(1911年)、時の住職による境内地の発掘で、和同開珎に関わる鋳造遺物が数百点発見された。これらの出土物から、この地で和同開珎を盛んに鋳造されていたと推量できる。


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山口県下関市長府の「長門鋳銭所跡」
マップの撮影場所 ⑪

「長門鋳銭所跡(ながとちゅうせんしょあと)」を示す石碑が、覚苑寺(かくおんじ)の境内にある。大量の鋳銭遺物が出土したことから、国の重要文化財に指定されている。


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京都府木津川市の「鋳銭之遺蹟」
マップの撮影場所 ⑫

奈良県境に近い京都府木津川市加茂町銭司(せず)に、和同開珎の「鋳銭司(じゅせんし=鋳造所)」跡を示す石碑「鋳銭之遺蹟」が、国道163号沿いに建っている。付近には銅鉱山が存在している。この地でも、和同開珎が鋳造されていた。


我が国初の「自然銅」発見

慶雲5年(708年)武蔵國・秩父郡から、我が国初めての「熟銅(にぎあかね=精錬不要の自然銅)」が発掘され、朝廷に献上した。それを喜んだ「元明天皇(女帝)」は、元号を「慶雲5年」から「和銅元年」に改め、記念に「和同開珎(わどうかいちん)」という我が国初の流通貨幣(銅貨)を発行したのである。そのときの「和銅(日本原産銅)」が採掘された跡が、秩父市黒谷地区の「和銅山」、「和銅沢」、「金山」に残されている。この黒谷地区一帯が「和銅遺跡」である。「和銅」とは純度が高い自然銅のことで、年号の名前でもある。「和同開珎」は日本最初の通貨である。「和銅」と「和同」は、どちらも「わどう」と読むので混乱を起こさないように注意が必要である。

秩父市黒谷地区が「日本通貨発祥の地」と称されているが、この地で「和銅」が発掘され、朝廷に献上。その時に我が国初の流通貨幣「和同開珎」が発行された歴史を記念としたものである。秩父地方には「和同開珎」の鋳銭(鋳造)の形跡はない。「和同開珎」は、主に山口県下関市の「長門鋳銭所(ながとちゅうせんしょ)」で鋳造されたとされている。原材料は、山口県美称市の「秋吉台」南東に隣接する「長登銅山(ながのぼりどうざん=銅鉱山)」から採掘された「銅」が使用された。(奈良・東大寺の大仏にも使用された。)採掘・精錬された「銅」は、銭貨鋳造の目的で、「長門鋳銭所」に送られた。京都府木津川市加茂町銭司(せず)にも「和同開珎」の「鋳銭司(ちゅうせんし=鋳造所)」跡がある。付近には銅鉱山が存在し、「和同開珎」の鋳型や木炭片、鞴(ふいご)などが出土している。秩父の「熟銅(にぎあかね=精錬不要の自然銅)」は、純度が高く銭貨鋳造には適さなかった。


埼玉県外の撮影場所: 山口県下関市 覚苑寺/京都府木津川市 鋳銭之遺蹟

撮影日:

撮影場所:和銅遺跡一帯(秩父市黒谷地区)

住所:埼玉県秩父市黒谷2191(聖神社付近)