武蔵国と埼玉県

武蔵国

(埼玉県・東京都)

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武蔵国と埼玉県 | フォトさいたま

「武蔵國(むさしのくに)」

明治初期の「武蔵國」は、22郡から成りたっていた。国府と国分寺は、多摩郡に置かれた。明治維新時の「廃藩置県」で「武蔵國」は、埼玉県、東京都および神奈川県(川崎市と横浜市)の三分割になった。


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「令制國(りょうせいこく)」

「令制国」とは、飛鳥時代から明治時代初期までの日本の地理的区分だった。北海道・沖縄を除く日本列島を68ヶ國に分けて管理していた。律令制度(りつりょうせいど)に基づく古代統一国家の統治体制で、中央集権制度(罪刑法定主義)の国造りである。現代の日本列島は47都道府県に分かれている。


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「武蔵国府跡」
マップの撮影場所 ①

武蔵國の政治の中心地「国府(こくふ)」は、現在の東京都府中市に置かれた。律令制(りつりょう)の「国府」の所在地を「府中」といった。30年余りに及ぶ発掘調査の結果、「大國魂神社」の境内および、その東側一帯に「国府」の政務機関である「国衙(こくが=国の各行政事務施設)」が存在していたことがわかった。


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「武蔵国分寺跡」
マップの撮影場所 ②

武蔵國の「国分寺」は、現在の東京都国分寺市に置かれた。奈良時代に聖武天皇は、「仏」の力で国を安定させるために、諸国に「国分寺」の建立を命じた。そして、奈良の「東大寺」を、全国 68ヶ國に建立した「国分寺」の中心をなす「総国分寺」と位置付けた。


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「大國魂神社」
マップの撮影場所 ③

大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)」は、武蔵國の「総社」であり、現在の東京都府中市に鎮座している。武蔵國の「六所宮(武州六大明神)」を祀っている。

一ノ宮:小野神社(東京都多摩市)
二ノ宮:二宮神社(東京都あきる野市)
三ノ宮:氷川神社(さいたま市大宮区)
四ノ宮:秩父神社(埼玉県秩父市)
五ノ宮:金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)
六ノ宮:杉山神社(横浜市緑区)


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「武蔵一宮・氷川神社(大宮氷川神社)」
マップの撮影場所 ④

さいたま市大宮区に鎮座する「大宮氷川神社」は、武蔵國の一ノ宮とされている。明治元年(1868年)明治天皇は、大宮氷川神社を武蔵國の「鎮守・勅祭社」と定めた。なぜか、武蔵國の総社「大國魂神社」には、三ノ宮として祀られている。戦艦「武蔵」の艦内には「武蔵神社」があった。神体は「大宮氷川神社」から分霊されたものだった。横浜港(山下公園前)に係留されている日本郵船「氷川丸」の船名は、「大宮氷川神社」に由来する。ブリッジの神棚には「大宮氷川神社」の祭神が祀られている。


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「稲荷山古墳」
マップの撮影場所 ⑤

「さきたま古墳群」は、埼玉県行田市にある。古墳群の一つ「稲荷山古墳」より「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」が発見された。鉄剣には、「辛亥(しんがい)(471年)に記した」と刻まれていた。平城京(710年〜)ができるよりも約240年前に、この地「武蔵国(現・埼玉県行田市)」には、豪族が住んでいたことになる。


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「岩槻藩の居城・岩槻城黒門」
マップの撮影場所 ⑥

岩槻藩は、武蔵國埼玉郡(現在のさいたま市岩槻区)に置かれた藩である。「武蔵三藩」のひとつで、江戸の防衛隊として活躍した。


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「川越藩の居城・川越城本丸御殿」
マップの撮影場所 ⑦

川越藩は、武蔵國入間郡(現在の埼玉県川越市)に置かれた武蔵國一の大藩だった。「武蔵三藩」のひとつで、江戸の防衛隊として活躍した。


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「忍藩の居城・忍城」
マップの撮影場所 ⑧

忍藩(おしはん)は、武蔵國埼玉郡(現在の埼玉県行田市)に置かれた藩である。「武蔵三藩」のひとつで、江戸の防衛隊として活躍した。


埼玉県は武蔵國の中心だった

「武蔵國(むさしのくに)」は、現代の埼玉県の全域、東京都(23区と多摩地域)、神奈川県(川崎市と横浜市)である。「武蔵」の国名の起源は諸説唱えられているものの、いずれの説も根拠となる資料に欠き定説となるには至っていない。昔、律令(りつりょう)制下で東海道に属していた大国、「武蔵國」があった。「国府(国ごとの役場)」は、現在の東京都府中市に置かれ、「武蔵国分寺(国ごとの寺)」は、現在の東京都国分寺市に置かれた。15世紀中頃、関東は動乱期に入り、太田道灌は江戸城を築き威を張った。やがて相模國の北条氏が武蔵國に進出、しばらく後北条氏(ごほうじょううじ)の支配が続いたが、後に、豊臣秀吉の小田原攻めで、後北条氏も滅びた。次いで「徳川家康(とくがわいえやす)」が入国して江戸幕府を開いた。江戸幕府開府以後は徳川政権の膝元となり、日本政治の中心地となった。また、「武蔵三藩」と呼ばれる「岩槻藩」、「川越藩」、「忍藩」が現在の埼玉県に置かれ、江戸の防衛として重臣が配された。明治維新によって、首都機能が「山城國(やましろのくに)」平安京(京都)から、「武蔵國」東京(旧江戸)に移され、廃藩置県で行政区域が細分化され、最終的には江戸と供に東京都を構成し、埼玉県(全域)と神奈川県(川崎市と横浜市)に分割され、現在に至っている。武蔵國は、「武州(ぶしゅう)」ともいう。

武蔵國は三分割にされ、東京都は日本の首都になり、神奈川県(川崎市と横浜市)は日本を代表する港湾都市となった。埼玉県は「海なし県(内陸県)」となってしまい、日本の中でも最も、他県からいじられている県のひとつで、埼玉県「ダサイタマ」という名誉がある。埼玉県人もあえてそれを自虐ネタとして受け入れているのが現状である。「ダ埼玉(ダさいたま)」とは、「ダサい」と「埼玉県」を掛け合わせた造語で、1980年代初頭にタレントの「タモリ」によって考案されたものである。この頃、皮肉る風潮に乗じて「翔んで埼玉」や「こちら埼玉山の上大学ボクシング部」といった漫画作品が連載された。しかし武蔵國の中心部は、東京都や神奈川県ではなく、埼玉県であった。「武蔵三藩」と呼ばれる「岩槻藩(旧岩槻市)」、「川越藩(川越市)」、「忍藩(行田市)」が江戸を防衛した。さいたま市(旧大宮市)に鎮座する「氷川神社(ひかわじんじゃ)」は、武蔵國の一ノ宮とされている。さらに、昭和43年(1968年)行田市の稲荷山古墳(いなりやまこふん)で「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」が(国宝)発見されて一躍全国に名をとどらかせた。鉄剣には、「辛亥年七月中記」と刻まれている。つまり「辛亥(しんがい)の年(471年)の七月に記した」という意味である。「平城京(710年〜奈良時代の日本の首都)」ができるよりも約240年前に、この地(現・行田市)にそれに四敵する豪族が住んでいたということになる。8世紀には、盛んに朝鮮半島からの渡来人が移住して住みつき、高麗(こま)、新羅(しらぎ)、新倉(にいくら)、狛江(こまえ)などの地名ができた。


撮影場所:武蔵国