慈恩寺観音 玄奘祭

慈恩寺観音堂・玄奘塔

【さいたま市】

撮影日:2024年5月5日

慈恩寺観音 玄奘祭【さいたま市岩槻区】 | フォトさいたま

「子ども孫悟空お練り」

慈恩寺観音堂から玄奘塔までの約1キロメートルを、孫悟空に扮した約40人の子どもたちが、猪八戒(左)と沙悟浄(右)の先導で白馬とともに練り歩いた。


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容姿が豚の猪八戒(ちょはっかい)(左)と容姿が河童の沙悟浄(さごじょう)(右)の前でポーズをとる子ども孫悟空たち。


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「玄奘塔(げんじょうとう)唐門」

日中戦争で日本軍が南京で発見した「玄奘三蔵法師」の遺骨の一部が、日本仏教会に贈呈された。その遺骨が、十三重の塔に納められている。


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「玄奘三蔵法師像と十三重の塔」

西遊記(孫悟空物語)で知られる三蔵法師(玄奘・げんじょう)は、西暦602年に中国に生まれ、経典を求めて天竺(インド)を志し、数多くの苦しみを克服した。


慈恩寺観音 玄奘祭【さいたま市岩槻区】 | フォトさいたま

「子ども孫悟空お練り」が、玄奘堂に到着すると、十三重の塔(玄奘三蔵霊骨塔)で慈恩寺僧侶による「大般若波羅蜜多経(600巻のお経)」の転読の作法が始まった。


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慈恩寺観音境内では、煩悩を焼き、厄除け、家内安全を願う「火渡り修行」が執り行われた。火渡り修行に向かう山伏(修験者)たち。


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「火渡り」とは、修験道に伝わる儀式で、数メートルに組んだ薪で護摩を焚き、熾火(おきび)の上を素足で渡る修行である。火渡りの前には、山伏がホラ貝を響かせながら、斧や刀などの法具を使って道場を清める儀式を執り行う。


慈恩寺観音 玄奘祭【さいたま市岩槻区】 | フォトさいたま

たいまつに火をつけ、護摩壇に点火すると白煙と大きな炎が立ち上がり、山伏(修験者)の祈祷が行われた。


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火の勢いが落ち着くと護摩壇を囲んでいた山伏(修験者)が護摩壇を崩し、燃え跡をならして火渡りの道をつくり、山伏(修験者)に続いて一般参加者が火渡りに参加することができる。


慈恩寺観音 玄奘祭【さいたま市岩槻区】 | フォトさいたま

慈恩寺は、坂東第12番の札所でもある。天台宗の寺院で、山号は「華林山(かりんざん)」本尊は「千手観世音菩薩」である。


子ども孫悟空が練り歩いた!!

5月5日こどもの日に慈恩寺で、西遊記(孫悟空物語)で名高い「玄奘三蔵法師」の遺徳を偲ぶ行事「玄奘祭」が開催された。「子ども孫悟空お練り」は、慈恩寺観音堂から玄奘塔までの1キロメートルを、孫悟空に扮した約40人の子どもたちが白馬とともに練り歩き、地域のまつりとして親しまれている。玄奘塔には、中国の僧、「玄奘」の遺骨が納められている。遺骨は1942年に中国で発見された。遺骨の一部が日本に渡り、戦火を逃れて慈恩寺に納められた。またこの日、慈恩寺観音堂境内では、煩悩を焼き、厄除け、家内安全を願う「火渡り修行」が執り行われた。山伏(修験者)の法螺貝(ホラ貝)を合図に始まり、読経の響く中、山伏と参加者が素足でその上を歩き諸願成就を祈願した。

慈恩寺観音のある「岩槻区」は、埼玉県さいたま市を構成する10区のうちの一つである。さいたま市の行政区で最も面積が大きい人口約11万人の行政区である。岩槻は岩槻城の城下町で、城下にあたる岩槻駅東口を中心として「岩槻人形」と呼ばれる雛人形を専門とする人形店が集積し、「人形のまち」として全国的に知られている。


慈恩寺観音 玄奘祭を動画でご覧ください。


慈恩寺観音 玄奘祭【さいたま市岩槻区】 | フォトさいたま


撮影日:

撮影場所:慈恩寺観音堂・玄奘塔

住所:さいたま市岩槻区慈恩寺139