秩父札所第14番 今宮坊

長岳山(ちょうがくざん)

今宮坊(いまみやぼう)

秩父札所 第14番【長岳山・今宮坊】 | フォトさいたま

「今宮坊・観音堂」

今宮坊に向かう途中には今宮神社がある。神社の境内に宝暦9年(1759)の境内図が掲げられている。それは「今宮坊の古図」と記され今宮神社と今宮坊は同一敷地内にあった様子が描かれている。明治の神仏分離によって今宮神社と今宮坊は分離された。


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「観音堂・向拝」

本尊「聖観世音菩薩」が安置されている。本尊の聖観音像は江戸時代初期の作で、聖観音としては珍しい「半跏趺坐像(はんかふざぞう)」である。片方の足を他のももにのせ坐禅のようにあぐらをかく雲中出現の霊像といわれている。


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「観音堂」

今宮坊の観音堂の敷地は狭い。敷地中央に三間四面の宝形造りの観音堂が建っている。今宮坊は、かつて修験道の本山として有名な聖護院の直末寺で、「長岳山正覚院金剛寺」と呼ばれていた。現在の観音堂は、宝永6年(1709年)に再建されたものである。


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「観音霊験記の扁額」

霊験記の解説によれば、武田信玄の家来、石原宮内は熱心な観音信仰者であったが、天文21年(1552年)時田合戦の際の不手際により信玄の怒りを買い、死罪を命じられてしまう。観音に祈ったところ、その夜、信玄の夢に今宮坊の小坊主(こぼうず)が現れ、宮内の命を助けるよう願った。それによって、宮内は助かりさらに恩賞まで与えられたという。


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「勢至菩薩堂」

観音堂の左脇に勢至菩薩堂がある。「勢至菩薩(せいしぼさつ=知恵の仏)」は、阿弥陀如来(奈良の大仏)の右脇侍(みぎきょうじ)である。ちなみに、左脇侍は観音菩薩である。これを「阿弥陀三尊」という。


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「境内の無縁塔」

一般に死者は親類縁者によって供養されているが、代を重ねるに連れ、墓の継承者の消滅などによって無縁化する場合が出てくる。このように埋葬者が無縁仏となった墓を一ヶ所に集めて寺が供養している。


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「延命地蔵尊」

境内に延命地蔵尊が立っている。この地蔵尊は信者が子供の無事成長、無病息災を願って奉納されたものと云われている。


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「聖徳太子像と欅」

境内の片隅に樹齢500年の「欅(ケヤキ)」と聖徳太子像がある。欅は日本の代表する広葉樹の一つである。聖徳太子は、日本の豪族を一つにまとめ、新しい国づくりをめざした。


秩父札所第14番 長岳山・今宮坊を動画でご覧ください。


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「長岳山・今宮坊の御朱印」


「長岳山(ちょうがくざん)・今宮坊(いまみやぼう)」

昔、甲斐の武田軍と北條軍との戦が絶えなかった頃、武田軍が秩父にやってきては神社仏閣に火を付け、里人をいじめていた。この寺は「長岳山正覚院金剛寺」と呼ばれ、修験者の道場として非常に栄えた寺であったが、武田軍に焼かれてしまった。「信玄焼」といわれ、今でもその文献や口碑が各地に残っている。その後建てられたのが、今の観音堂である。本尊は、聖観世音木造漆箔、「半跏趺坐像(はんかふざぞう)」で江戸初期の作である。


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撮影日:

住所:埼玉県秩父市中町25-12