秩父札所第31番 観音院

鷲窟山(しゅうくつさん)

観音院(かんのんいん)

秩父札所 第31番【鷲窟山・観音院】 | フォトさいたま

「本堂(観音堂)」

背後の大岩壁に覆われた本堂。旧本堂は明治26年(1893年)に焼失し、現在の本堂(観音堂)は、昭和47年(1972年)の建物でコンクリート造りで再建された。奈良時代の仏教僧「行基(ぎょうき)」の作と伝わる本尊「聖観世音菩薩」が安置されている。


秩父札所 第31番【鷲窟山・観音院】 | フォトさいたま

「山門(仁王門)」

仁王門は軽量鉄骨の上に切妻の屋根を乗せただけの簡単な造りだが、両脇の仁王像は、高さ約4メートルもあり石造り仁王像としては日本最大。明治元年(1868年)に長野県伊那谷の石工「藤森吉弥」の作で重量が約2400キログラムにも及ぶ。


秩父札所 第31番【鷲窟山・観音院】 | フォトさいたま

「聖浄の滝」

本堂(観音堂)の左手には、落差約30メートルの「聖浄の滝(せいじょうのたき)」がある。現在は水量が減ってはいるが、修験道の時代、行者の水垢離(みずごり)の場所であった。滝壺のそばには「不動明王」が立っている。


秩父札所 第31番【鷲窟山・観音院】 | フォトさいたま

「鐘楼堂」

観音院は秩父札所の中で、もっとも険しい難所に建つ寺で、296段の長い石段を登りきると、最初に鐘楼堂にたどり着く。この鐘楼堂は、珍しく地表にある。梵鐘には天女が刻まれている。


秩父札所 第31番【鷲窟山・観音院】 | フォトさいたま

「大師堂」

弘法大師(空海)が祀られている。大師堂は、大師号を贈られた僧を礼拝の対象として祀るものである。智証大師(円珍)、慈恵大師(良源)を祀る大師堂もある。大師堂の右側には「慈母観音」が祀られている。


秩父札所 第31番【鷲窟山・観音院】 | フォトさいたま

「鷲窟磨崖仏(しゅうくつまがいぶつ)」

弘法大師爪彫りの伝承があり、高さ約18センチメートルの坐像と立像の仏像が、幾重にも浮き彫りにされている。地中にも数段の磨崖仏が残っており、俗に「十万八千仏」といわれている。室町時代の制作とされ、埼玉県の有形文化財に指定されている。


秩父札所 第31番【鷲窟山・観音院】 | フォトさいたま

「馬の蹄跡洞窟の石仏群」

東奥の院に行く途中、鎌倉時代の武将「畠山重忠(はたけやましげただ)」の愛馬を休ませた伝説の洞窟の石仏群。西奥の院(現在立入禁止)にも石仏群があり、全体で石仏は190体ある。


秩父札所 第31番【鷲窟山・観音院】 | フォトさいたま

「東奥の院」

岩肌に打ち込まれた鎖を使わないと、登れないような所に石仏群があり、これらを参拝しながら登ると「東奥の院」がある。観音院には、東西2つの奥の院があるが、西奥の院は岩壁の崩落などによって現在は通行禁止となっている。


秩父札所三十一番  鷲窟山・観音院を動画でご覧ください。


秩父札所 第31番【鷲窟山・観音院】 | フォトさいたま

「鷲窟山・観音院の御朱印」


「鷲窟山(しゅうくつさん)・観音院(かんのんいん)」

宗派/曹洞宗  本尊/聖観世音菩薩

本尊の聖観音像は霊験記によれば、鎌倉時代に、「畠山重忠(はたけやま しげただ)」がこの地に狩りにやってきた。鷲の巣を見つけたので矢を射ってみたが、どうしたことか、何度射ってもすべて跳ね返されてしまう。不思議に思った重忠が、巣を降ろしてみると、平安時代将門の乱で所在不明になっていた聖観音像がそこにあった。その後、畠山重忠はここに観音堂を建て「聖観世音菩薩」を安置したという。秩父の札所の中でも最西端の寺で、もっとも険しい難所に建つ寺である。観音堂は、標高約700㍍の観音山の中腹にあるが、296段の長い石段を登りきると、視界が広がり正面の岩屋に納まった形の観音堂がある。


秩父札所 第31番【鷲窟山・観音院】 | フォトさいたま


秩父札所 第31番【鷲窟山・観音院】 | フォトさいたま


撮影日:

住所:埼玉県秩父郡小鹿野町飯田2211