「母巣山少林寺」
近江の国の怪者が東国に疫病をはやらせようとした。定朝が作った観音像で疫病を救う為にと領主に願い出て、母巣の森にお堂を建てて観音像を安置したところ、東国の疫病はことごとく退散したそうである。
「本堂」
これまでの札所とは違う印象を持つ本堂は、明治11年の秩父大火の後、防火に力を入れて洋風の建築方法を取り入れており漆喰塗籠(しっくいぬりごめ)、土蔵作りの建物である。
「天上に無数の納札(おさめふだ・のうさつ)」
昔、お寺にお参りした遍路は金属や木でできた札を、参拝した印に山門や本堂に打ち付けて行った。このことからお寺を“札所”と呼ぶようになった。
「秩父事件で殉職した警察官の墓」
明治17年の秩父事件は、生糸相場の大暴落や繭の不出来によって現金収入が断たれた農民たちが武装蜂起し高利貸しなどを襲撃した事件である。
「地蔵堂」
このお堂に祀られている地蔵菩薩は、子育ての御利益があるといわれ、子どもの成長を一心に願う巡礼者が多い。
「境内の観世音菩薩」
少林寺の本尊は、明治期作の十一面観世音菩薩。堂内には、観音経が説く三十三の化身を描いた三十三観音の額もある。
「母巣山・少林寺の御朱印」
「母巣山(ははそざん)・少林寺(しょうりんじ)」
札所十五番は、草創期より、江戸幕府末期までは、母巣山蔵福寺と呼ばれ、秩父妙見宮(秩父神社)の別当寺として栄えてきた。明治の世になり、排仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響で廃寺となったが、その後、同地 柳島(現東町)にあった五葉山少林禅寺が、民衆信者の誓願によって民制役場の許しを得て、札所として母巣山少林寺とみとめられ、信仰を集めている。
撮影場所:母巣山・少林寺
住所:埼玉県秩父市番場町7-9