秩父札所第23番 音楽寺

松風山(しょうふうさん)

音楽寺(おんがくじ)

秩父札所 第23番【松風山・音楽寺】 | フォトさいたま

「観音堂」

三間四面の「宝形造り(ほうぎょうづくり)」の観音堂で向拝を付けず、堂の前部3分の1を吹き放しにし、開放的な観音堂である。本尊は室町時代の作といわれる「聖観世音菩薩」が安置されている。


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「音楽寺の梵鐘(ぼんしょう)」

この鐘の特色は、聖観音、不空羅索観音、十一面観音、如意輪観音、千手観音、馬頭観音の順に六観音が鐘の下部周囲に鋳造されていることである。


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「手水舎」

この手水舎には「龍神」を祀っている。龍神は、雲を起こし雨を呼ぶと信仰されている。龍神の口から出る水で参拝者の身と心を清める場所である。手水舎の隣には「六地蔵尊」が並んでいる。


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「天然記念物の御影松」

埼玉県の天然記念物に指定されている「御影松」一本の枝が、横に数メートルほど伸びていている。枝の下には学問の神様、天満天神「菅原道真(すがわらみちざね)」が鎮座している。


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「秩父困民党無名戦士の墓」

明治17年(1884年)秩父の農民が政府に対して負債の延納、雑税の減少などを求めて起こした武装蜂起事件(秩父事件)である。このとき、現在の秩父市吉田に集まった農民3000余名が武装蜂起し、小鹿坂峠を越えて音楽寺に集結、梵鐘を乱打し現在の秩父市へ乱入した。昭和53年(1978年)「困民党(借金に苦しんだ農民)」決起100年を記念して、梵鐘の脇に、この無名戦士の墓が建てられた。


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「稲荷神社」

稲荷大明神が祀られている。お稲荷様、お稲荷さんともいわれ、稲作・農業の神様として信仰されている。稲荷神は神仏習合思想において仏教の女神である「荼枳尼天(だきにてん)」とも習合したため、仏教寺院で祀られることが多い。


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「小鹿坂観音堂跡地」

音楽寺の前身は室町時代に建立された「小鹿坂観音堂」である。現在の観音堂に向かって右脇から細い道が斜面に続いており、ここを登ると小鹿坂観音堂跡地のわずかな平地に出る。写真の中央が小鹿坂峠の交差点で、左の「小さな祠の屋根(草に埋もれている)」が見えるところが跡地である。まっすぐに進むと「十三権者の石像」に到着する。


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「十三塚の地蔵尊」

小鹿坂峠に立つ地蔵尊。中央に大きな地蔵が立ち、左右に13体の地蔵尊が並んでいる。この地蔵尊は、秩父札所を開創した伝説の「十三権者」を表した地蔵尊である。「十三権者の石像」ともよばれている。


秩父札所二十三番  松風山・音楽寺を動画でご覧ください。


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「松風山・音楽寺の御朱印」


「松風山(しょうふうさん)・音楽寺(おんがくじ)」

宗派/臨済宗南禅寺派  本尊/聖観世音菩薩

天長年間(824〜834年)「慈覚大師(じかくだいし=円仁ともいう。天台宗の高僧)」が巡行した際、この地で「聖観音像」を刻んだ。安置する場所を探し山道を行くと、多数の「小男鹿(さおしか)」が集まってきて、慈覚大師を道案内したという。これが「小鹿坂峠(おがさかとうげ)」の由来である。観音堂は、この小鹿坂峠の近くに「小鹿坂観音堂」として建立された。この子鹿坂観音堂が秩父34ヶ所の札所となり、やがて「音楽寺」が子鹿坂観音堂の別当寺となった。そして、江戸時代中期に観音堂を現在の地に新たに建立し、本尊「聖観世音菩薩」を安置した。音楽寺という近代的な寺の名は、松の梢(こずえ)を吹く松風の音から生まれたと云われている。


秩父札所 第23番【松風山・音楽寺】 | フォトさいたま


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撮影日:

住所:埼玉県秩父市寺尾3773