西国札所 第22番

補陀洛山・総持寺

(摂津國・大阪府茨木市)

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西国札所 第22番【補陀洛山・総持寺】 | フォトさいたま

「亀に乗った総持寺の石碑」

亀の恩返しで有名な総持寺は、平安時代、「藤原山蔭(ふじわらのやまかげ=平安時代の大臣)」によって開かれた。


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「山門(仁王門)」

堂々とした入母屋造りの楼門である。建立年代は不明であるが、江戸時代中期と思われる。左右に2メートルを超える金剛力士像が祀られている。


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「本堂(観音堂)」

山門からみた本堂、慶長8年(1603年)豊臣秀頼が再建したものである。


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「本堂向拝」

藤原高房の最愛の子・「山蔭」を観音様が救ったことにちなみ、「子育て観音」として、本尊・千手観音菩薩が祀られている。


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「庭園の池」

閻魔堂のある庭園の池には多数の(右)亀が泳いでいる。亀に乗った観音様として有名な総持寺。縁起の亀を大事に飼っている。


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「大師堂」

大師堂は、大師号を贈られた僧を礼拝の対象として祀っている。真言宗の開祖、弘法大師(空海)が祀られている。


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「薬師金堂(やくしこんどう)」

薬師如来を祀る「金堂」である。金堂は本来、寺の本尊を祀る仏堂であった。基本的には1つの寺に1つの金堂があった。近代では本堂に本尊を祀る習慣になってきた。


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「普悲観音堂」

堂内の中央には、普悲(ふひ)観音像が安置されている。いわいる「ぼけ封じ観音像」である。普悲(ふひ)とは、おおいなる慈悲(じひ)の心をあまねく与えるという意味である。


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「鎮守社」

鎮守社には、福をもたらす「大黒天」、「弁財天」と、庚申信仰の「青面金剛」が安置されている。


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「水向地蔵尊」

流水灌頂(るすいかんぢょう)の塔婆を水向地蔵に立てかけると、水難や出産で亡くなった方の供養に功徳があると云われている。


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「補陀洛山・総持寺の御朱印」


「補陀洛山・総持寺」

西国札所第22番の「総持寺(そうじじ)」は、(摂津國せっつのくに)大阪府茨木市総持寺にある、高野山真言宗の寺院である。山号は「補陀洛山(ふだらくさん)」、本尊は「千手観世音菩薩」である。この寺は、元慶3年(879年)ごろ、「藤原山蔭(ふじわらのやまかげ=平安時代の公卿=大臣)」が創建した。現在の本堂や仁王門は、慶長8年(1603年)に、「豊臣秀頼(とよとみひでより)」が再建したものである。藤原山蔭の父・藤原高房は、淀川で漁師たちに捕まった大亀を見て、この大亀を助けようと、買い取って川へ逃がしてやった。その日の夜、高房の子・山蔭は、継母の計略で船から川に落とされてしまった。これを知り、父の高房が川を探したが、見つからなかった。高房は悲しみ、観音さまに祈ると、助けた大亀が、山蔭を甲羅に乗せて現れたという。山蔭の父・高房の没後、山蔭が仏師に依頼して千手観世音菩薩像を造立した。その姿は、亀の背中に乗ったもので、観音さまによって子どもが救われたことから、「子育て観音」として、信仰されてきた。


撮影場所:補陀洛山・総持寺

住所:大阪府茨木市総持寺1-6-1