西国札所 第30番

巌金山・宝厳寺

(近江國・滋賀県長浜市)

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西国札所 第30番【巌金山・宝厳寺】 | フォトさいたま

「竹生島(ちくぶしま)」

琵琶湖の北部に浮かぶ「竹生島」。周囲2キロメートル、標高約200メートルの断崖絶壁に、本尊・「千手千眼観音菩薩像」が鎮座している。島内には寺院だけで民家は一軒もない。今回、観音堂は改修工事中のため、撮影が出来なかった。


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「本堂(弁財天堂)」

本尊の弁財天は、江ノ島、宮島と並ぶ「日本三弁財天」の一つである。弁財天は、七福神の中で、唯一の女神である。元はインド河(水)の神であったが、やがて音楽の神、言語の神となり日本に伝わった。琵琶湖の名前の由来は、弁財天が持っていた楽器(琵琶)が由来と云う説がある。


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「五重石塔」

高さ約2.4メートル、鎌倉時代の作と云われている。「地」「水」「火」「風」「空」の五大をかたどった「五層の仏塔」である。国の重要文化財に指定されている。


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「舟廊下」

「宝厳寺観音堂」から「都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)」本殿を結ぶ屋根付きの廊下である。豊臣秀吉の座船の用材を用いて作られたところからその名がついた。


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「都久夫須麻神社(本殿)」

「都久夫須麻(つくぶすま)神社」と「宝厳寺」は神仏習合であった。明治の神仏分離により両者は、分離された。慶長7年(1602年)豊臣秀頼により再建されたものである。


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「竹生島竜神拝所」

土器(かわらけ)に願い事を書き、湖面に突き出した宮崎鳥居へ投げて、土器(かわらけ)が鳥居をくぐると、願い事が叶えられると云われている。


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「三重塔」

江戸時代初期に焼失したと言われている「三重塔」を、約350年ぶりに、平成12年(2000年)に再建したものである。


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「もちの木」

この木は、慶長7年(1602年)、豊臣秀頼の命を受け、「片桐且元(かたぎりかつもと=秀頼の後見役)」が唐門、観音堂を移築したときに、記念に植えたものである。「もちの木」は、御神木として神社の境内に植えられる。


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「巌金山・宝厳寺の御朱印」


「巌金山・宝厳寺」

西国札所第30番の「宝厳寺(ほうごんじ)」は、近江國(おうみのくに)滋賀県長浜市早崎町・竹生島(ちくぶしま)にある、真言宗豊山派の寺院である。山号は「巌金山(がんこんさん)」、本尊は「千手千眼観世音菩薩」である。この寺は、琵琶湖の北部に浮かぶ、周囲約2キロメートル、標高約200メートル、断崖に囲まれた「竹生島」に鎮座している。島内には、宝厳寺と都久夫須麻(つくぶすま)神社だけで、民家は一軒もない。まさに、神と仏だけが祀られている聖域の島である。神亀元年(724年)「行基(ぎょうき=奈良時代の日本の僧)」が竹生島を訪れ、弁財天を祀る堂を建立し、弁財天を安置したのが始まりと云われてる。天平勝宝5年(753年)浅井値馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が、千手千眼観音像を刻み、弁財天と一緒に安置したと云われている。永禄元年(1558年)に大火があったが、大火後、豊臣秀頼が唐門や観音堂などを再建した。明治以前は神仏習合の霊場として信仰されていた。その後、神仏分離令により廃寺が下されるが、多くの信者に守られ、本堂(現・観音堂)のみを神社に渡された。昭和17年(1942年)に、新たに本堂が再建され、宝厳寺の本尊として、仮安置だった弁財天が安置された。観音堂には、札所の本尊として、千手千眼観音像を祀っている。


撮影場所:巌金山・宝厳寺

住所:滋賀県長浜市早崎町1664-1